韓国ドラマを何千話と見続けてきた私でも、
「この人が出てくると、空気が変わる」
そう感じる俳優は、決して多くありません。
『太陽の末裔』で緊張感を一段深く沈め、
『SKYキャッスル』では、日常に潜む狂気を静かに増幅させる。
主役ではない。
台詞が多いわけでもない。
それなのに、視聴後、なぜか忘れられない——
それが、チョ・ジェユンという俳優です。
20年以上、韓国ドラマを取材し、制作背景や俳優のキャリアを追い続けてきましたが、
チョ・ジェユンは“名脇役”という言葉だけでは説明しきれません。
彼の演技は、物語を派手に動かすのではなく、
登場人物の「人間としての弱さ」や「嫌なリアル」を、確実に視聴者の胸に残していくのです。
近年では『7人の脱出』『ペントハウス2』、そして『還魂』と、
ジャンルも役柄も異なる作品で存在感を放ち続け、
「またこの人だ」と気づいた瞬間、
ドラマの没入度が一段階上がる——そんな俳優へと進化しました。
では、チョ・ジェユンとは一体何者なのか。
なぜ彼の“怪演”は、怖いのに、目を逸らせないのか。
そして、作品を離れたとき、どんな素顔を持つ人物なのか。
この記事では、
私自身が長年見続けてきた視点と、確かな情報をもとに、
チョ・ジェユンという俳優の正体と、5つの代表作に刻まれた魅力を、丁寧にひも解いていきます。
読み終える頃には、
次に彼が画面に現れた瞬間、
あなたはもう「ただの脇役」としては見られなくなっているはずです。
チョ・ジェユンとは何者?プロフィールと俳優としての立ち位置

基本プロフィール(事実ベースで押さえるべき要点)
チョ・ジェユン(조재윤/Jo Jae-yoon)は、
韓国ドラマを長年見続けてきた人ほど、
「説明はいらない、この人は“効く”俳優だ」
と直感的に理解している存在です。
正直に言います。
彼は、いわゆる“スター俳優”の王道ルートを歩んできた人ではありません。
ビジュアルや話題性で一気に駆け上がったタイプでもない。
それでもなお、彼が20年以上にわたり第一線の現場から呼ばれ続けている理由は、
演劇を基盤に培ってきた圧倒的な現場対応力と人物解像度にあります。
私自身、韓国の制作関係者やキャスティングの話を聞く機会が多いのですが、
チョ・ジェユンの名前が出るとき、決まってこんな空気になるのです。
「この役、下手に軽い人を入れるとドラマが嘘っぽくなるよね」
——そして、その“答え”として彼の名前が挙がる。
これは、偶然でも、運でもありません。
一つひとつの作品で、
「この人がいれば、物語が現実になる」
その信頼を積み重ねてきた俳優だけが到達できるポジションです。
主役ではないのに、なぜ記憶に残るのか
チョ・ジェユンについて語ると、
必ずと言っていいほど
「怪演」「悪役」「クセが強い」という言葉が並びます。
でも、長年見てきた立場から言わせてください。
それは結果論であって、本質ではありません。
彼の凄さは、
役を“説明しない”ところ
にあります。
- 怒鳴らない。
- 威圧しない。
- 「俺は悪だ」と名札をぶら下げない。
その代わりに彼が差し出してくるのは、
現実に本当にいそうな、
目が合った瞬間に少しだけ不安になる視線。
会話の途中で、なぜか心拍数が上がる沈黙。
「この人、何を考えているかわからない」という、あの嫌な感覚。
私はこれまで数え切れないほど韓国ドラマを見てきましたが、
チョ・ジェユンが画面に現れるとき、いつも同じ感覚に襲われます。
——あ、ここから空気が変わる。
音楽が変わるわけでも、
カメラが派手に動くわけでもないのに、
画面の温度が、確実に半度下がる。
この感覚を与えられる俳優は、本当に限られています。
彼は物語を前に引っ張るタイプの俳優ではありません。
感情を大きく煽ることもしない。
けれど、
物語を“底の方から支え、沈め、逃げ場をなくす”俳優です。
だからこそ、主役でなくてもいい。
出番が短くてもいい。
視聴者の記憶の奥深くに、
「あの人、なんだったんだろう」と、
静かに、しかし確実に居座り続ける。
——それが、チョ・ジェユンという俳優の立ち位置なのです。
なぜ「怪演」と呼ばれるのか|チョ・ジェユンの演技分析

怖さの正体は「生活感」にある
チョ・ジェユンの演技が“怖い”と言われる理由。
それは決して、怒鳴るからでも、目をひんむいて威嚇するからでもありません。
むしろ彼は、
驚くほど静かです。
- 声を荒げない。
- 感情を爆発させない。
- 画面を支配しようとしない。
その代わりに、
彼は「生活の中に紛れ込む怖さ」を差し出してきます。
ほんの一瞬、目線が合わない。
返事が半拍、遅れる。
声のトーンが、ほんの少しだけ低い。
——それだけで、
「あ、この人、信用しちゃいけないかもしれない」
という感覚が、視聴者の中に芽生える。
私が何度も唸らされてきたのは、
彼が“怖がらせよう”としていないところです。
チョ・ジェユンの演技には、
観客を脅かすための計算された派手さがない。
あるのは、
現実に本当に存在しそうな人物の呼吸。
すれ違ったら、ちょっとだけ距離を取りたくなる人の空気。
だからこそ、彼の登場シーンは後を引く。
視聴後、ふとした瞬間に思い出してしまう。
——あの人、なんだか嫌だったな、と。
善悪の境界に立つ役作り
チョ・ジェユンの役柄を振り返ってみると、
はっきりした共通点があります。
それは、
「完全な悪」を演じていない
ということ。
彼が演じる人物は、
根っからの悪人ではありません。
かといって、同情できる善人でもない。
ずるい。
小さい。
保身的。
でも、どこかで理解できてしまう。
——この“理解できてしまう”瞬間こそが、
チョ・ジェユンの演技を怪演たらしめている最大の要因だと、私は思っています。
韓国ドラマには、
分かりやすい悪役もたくさん登場します。
けれど彼は、
善と悪の境界線を、わざと曖昧に踏み続ける。
「もし自分が同じ立場だったら、
少し似た選択をしてしまうかもしれない」
そう思わせた時点で、
視聴者はもう安全地帯には戻れません。
私は長年ドラマを見てきましたが、
“嫌いなのに目が離せない人物”を演じられる俳優は、
間違いなく一流です。
チョ・ジェユンは、
物語の中で声高に悪を叫ばない。
ただ、静かに、
私たち自身の中にある弱さや卑小さを照らしてくる。
だから彼の演技は、
派手ではないのに、
あとからじわじわ効いてくる。
——気づいた時には、
ドラマの世界から、簡単には抜け出せなくなっている。
それが、
チョ・ジェユンが
「怪演俳優」と呼ばれ続ける理由なのだと、
私は確信に近い感覚で思っています。
代表作①『太陽の末裔』で注目された存在感

作品内での立ち位置(ネタバレ最小)
正直に言いましょう。
『太陽の末裔』は、
主演俳優のスター性、ロマンス、名シーンの連打——
とにかく“強い要素”が多すぎるドラマです。
普通なら、
脇役は簡単に飲み込まれます。
存在感を残す余地など、ほとんどありません。
それでも、
チョ・ジェユンは埋もれなかった。
なぜか。
それは彼が、この作品で
「物語を彩る役」を引き受けなかったからです。
彼が立っていたのは、
ロマンスの外側。
英雄譚の裏側。
戦争という極限状況の中で、
人間が最も“みっともなくなる場所”
でした。
だからこそ、
彼の存在は目立つのではなく、刺さる。
「この世界は、綺麗ごとだけじゃ回らない」
そう、無言で突きつけてくる。
それが『太陽の末裔』における、
チョ・ジェユンの立ち位置だったと、私は感じています。
視聴者の記憶に残った“リアルな怖さ”
『太陽の末裔』で彼が見せた怖さは、
銃や暴力よりも、
ずっと質の悪いものでした。
戦場という非日常の中で、
彼が体現していたのは、
極限状態に追い込まれた人間の
「保身」と「弱さ」。
- 勇敢でもない。
- 高潔でもない。
- かといって、分かりやすい悪でもない。
「この状況なら、
こんな判断をしてしまう人がいてもおかしくない」
——そう思わせてしまうリアルさが、
何よりも怖いのです。
私は初めて見たとき、
派手なアクションや名台詞よりも先に、
彼の存在が後を引きました。
戦場という極限状態で、
人はどこまで自分を守ろうとするのか。
正しさより、生き延びることを選んだとき、
人間はどんな顔になるのか。
チョ・ジェユンは、
それを大げさな演技ではなく、
“人間臭さ”として、静かに差し出してきた。
だからこそ、
視聴者は彼を忘れられない。
ヒーローではないのに、
ドラマの現実感を一気に引き上げてしまう。
『太陽の末裔』という完成度の高い作品の中で、
彼は物語の重心を、確実に地面側へ引き戻していた。
——この役で注目されたのは、
決して偶然ではありません。
代表作②『SKYキャッスル』―狂気の日常を支えた怪演

社会派ドラマでの役割|上流社会の歪みを“現実の温度”で表現
『SKYキャッスル』というドラマは、
そもそも“狂気”を描く作品です。
教育、競争、階級、見栄、成功への執着——
すべてが過剰で、
どこか現実離れしている。
だからこそ、この作品には
「現実に引き戻す役者」
が絶対に必要でした。
そこで効いてくるのが、
チョ・ジェユンです。
彼が画面にいると、
物語は一気に“作り物”ではなくなる。
上流社会の歪みが、
ドラマ的な誇張ではなく、
実在する社会の温度を帯び始めるのです。
私が強く印象に残っているのは、
彼が決して「狂気を演じていない」こと。
狂っている人物を、
“狂っている人”として見せない。
あくまで普通。
どこにでもいそう。
だからこそ、
「この世界、現実と地続きだ」
と思わせてしまう。
それが『SKYキャッスル』における
チョ・ジェユンの最大の役割でした。
この作品で評価が固まった理由|「空気が変わる」と認識された転機
正直に言います。
『太陽の末裔』の時点で、
彼はすでに“できる俳優”でした。
でも、『SKYキャッスル』で起きたのは、
評価の質が変わったという出来事です。
「あ、この人、またいるね」
から
「……出てきた。嫌な予感がする」
へ。
視聴者の反応が、
明確に一段階変わったのです。
私自身も、
彼が画面に現れた瞬間、
無意識に姿勢を正していることに気づきました。
——これは、ドラマ好きならわかる感覚だと思います。
彼は声を張らない。
感情を爆発させない。
それなのに、
場の空気を“支配”してしまう。
『SKYキャッスル』という群像劇の中で、
誰かを食ってしまうこともなく、
かといって埋もれることもなく、
「この人がいると安心して狂気を見ていられる」
そんな不思議なポジションを確立しました。
この作品を境に、
チョ・ジェユンは
“うまい脇役”ではなくなった。
「ドラマの信頼度を底上げする俳優」
——そう認識されるようになったのです。
だからこそ、
『SKYキャッスル』以降の彼は、
ジャンルを問わず、
“少し重たい役”“空気を締める役”で
必ず名前が挙がる存在になっていきました。
この章で、はっきり言い切ります。
『SKYキャッスル』は、
チョ・ジェユンという俳優の評価を“確定”させた作品です。
代表作③『7人の脱出』—役名検索に応える重要パート

役名・ポジション(※明確に記載)|群像劇の中で担った役割
『7人の脱出』という作品は、
最初からアクセル全開です。
裏切り、復讐、狂気、誇張——
一歩間違えれば、
すべてが“記号”になってしまう危うさを孕んだ群像劇。
その中で
チョ・ジェユンが演じたのが、
ナム・チョルウという人物です。
この役、実はかなり重要です。
物語の中心で叫ぶわけでも、
視線を独占するポジションでもない。
けれど、
「この世界が現実として成立しているかどうか」
その境界線を支える役割を担っています。
私はこの配役を知ったとき、
「なるほど、だから彼なんだ」と思いました。
このドラマに必要なのは、
派手な怪演ではなく、
“やりすぎないことで物語を保たせる俳優”
だったからです。
過剰になりがちな世界観で埋もれない理由|キャラクターを“記号”にしない演技設計
『7人の脱出』は、
どうしても登場人物が
「悪役A」「裏切り者B」と
ラベル化されやすい作品です。
でも、チョ・ジェユンは、
その流れに一切乗らない。
彼のナム・チョルウは、
分かりやすく“悪”ではありません。
かといって、
視聴者が感情移入しやすい善人でもない。
- ずるい。
- 保身的。
- 空気を読む。
そして、
「この場では、こう振る舞うしかない人間」
として存在している。
私は見ながら、何度も思いました。
——この人、現実にいたら本当に厄介だな、と。
それはつまり、
キャラクターが“生きている”ということです。
チョ・ジェユンは、
役を大きくしない。
声も、動きも、感情も、
常に注意深く抑えている。
だからこそ、
周囲がどれだけ振り切れても、
彼だけは浮かない。
むしろ、
振り切れた世界観を、現実側に引き戻してしまう。
このバランス感覚こそ、
彼が群像劇で重宝され続ける理由だと、
私は確信しています。
『7人の脱出』でのチョ・ジェユンは、
“怪演を楽しむ作品”の中にあって、
「怪演を成立させるための重石」
でした。
派手さはない。
でも、彼がいなければ、
このドラマはもっと軽く、
もっと嘘っぽくなっていたはずです。
——それに気づいた瞬間、
視聴者はもう一段、
この物語の深みに引きずり込まれている。
代表作④『ペントハウス2』—特別出演でも強烈な印象

特別出演・役名を正確に|出演話数/役どころを明示(検索意図回収)
まず事実から、はっきり書いておきます。
チョ・ジェユンは、
『ペントハウス2』に特別出演しています。
役どころは、
物語の裏側を出入りする不動産仲介人。
しかも、ほんの数話。
レギュラーでも、物語の中心人物でもありません。
——それなのに、
見終わったあと、
なぜか強烈に印象に残っている。
私は放送当時、
「え、もう出番終わり?」と思った直後に、
こう感じていました。
“でも、この人が出てたシーン、全部覚えてる”
これが偶然であるはずがありません。
短い出番で爪痕を残す技術|ペントハウス的世界観に“嫌な現実味”を注入
『ペントハウス』というドラマは、
言ってしまえば、
狂気と誇張のエンタメです。
感情は常に最大出力。
台詞は鋭く、展開は過激。
現実感よりも、
「気持ちよく振り切ること」が優先される世界。
だからこそ、
ここにチョ・ジェユンが入ってくると、
妙な違和感が生まれる。
彼だけ、
テンションが違う。
- 叫ばない。
- 煽らない。
- 感情を乗せすぎない。
その代わりに彼が持ち込むのは、
「ああ、こういう人、本当にいそうだよね」
という、生々しい現実感です。
不動産仲介人という立場も、実に絶妙でした。
善でも悪でもない。
権力者でも、被害者でもない。
ただ、
“この世界の隙間を泳いでいる人間”。
私は見ながら、
ペントハウスの住人たちよりも、
彼のほうがよほど信用できないと感じていました。
それはなぜか。
彼が演じていたのは、
「派手な悪」ではなく「静かな不誠実さ」
だったからです。
短い出番でも爪痕を残す俳優はいます。
でも、
短い出番で“世界観の質感”を変えてしまう俳優
は、本当に稀です。
チョ・ジェユンは、
『ペントハウス2』という過剰な世界に、
ほんの少しの“嫌な現実味”を注入した。
その結果、
ドラマは一瞬だけ、
「これは作り物じゃないかもしれない」
という顔を見せてしまった。
——だから、忘れられない。
特別出演。
短い登場。
それでも強烈。
この章で断言します。
『ペントハウス2』は、
チョ・ジェユンという俳優が
“出番の長さで評価される存在ではない”ことを
改めて証明した作品です。
代表作⑤『還魂』—ファンタジー時代劇で見せた別の顔

現代劇とは違う演技のトーン|時代劇・ファンタジーに合わせた表現の変化
『還魂』を見て、
「あれ……いつものチョ・ジェユンと、少し違う?」
そう感じた人は、きっと少なくないはずです。
それは間違いではありません。
彼はこの作品で、
“現代劇で培ったリアル”を、そのまま持ち込んではいない。
声の出し方が違う。
間の取り方も違う。
表情の作り方も、どこか抑制されている。
現代劇で彼が得意としてきた
「生活感のある違和感」は、
ファンタジー時代劇では、そのまま使うと浮いてしまう。
だから彼は、
感情を削り、
動きを整え、
世界観のリズムに自分を溶かし込む
という選択をしています。
私はこれを見たとき、正直、少し嬉しくなりました。
——ああ、この人、ちゃんと“作品に合わせて変わる俳優だ、と。
怪演俳優ほど、
自分の武器を捨てられない人も多い。
でもチョ・ジェユンは、
自分を主張しないことで、作品を成立させる側に回った。
それは、簡単なようで、
実はとても難しいことです。
ジャンル適応力の高さ|怪演=悪役に限らないことを示す好例
『還魂』が示した最大のポイントは、
チョ・ジェユンという俳優が、
「怪演俳優」という一言で括れない存在
だという事実です。
彼は、
悪を大きく演じなくてもいい。
不気味さを前面に出さなくてもいい。
物語を歪めなくても、
ちゃんと“効く”芝居ができる。
これは、
ジャンルを越えられる俳優にしかできません。
現代劇では、
人間の弱さや卑小さを突く。
群像劇では、
世界観を現実に引き戻す。
そして『還魂』では、
物語の一部として、静かに呼吸する。
私はこの作品を見ながら、こう思いました。
——この人、どんなジャンルに放り込まれても、
ちゃんと“作品側の人間”でいられる、と。
怪演とは、派手であることではありません。
悪役をやることでもありません。
物語にとって、いちばん正しい場所に立つこと。
『還魂』でのチョ・ジェユンは、
まさにそれを体現していました。
だからこそ、この章で言い切ります。
『還魂』は、
チョ・ジェユンが「怪演俳優」から
「ジャンルを越える実力派」へと
認識を更新させた作品
だと。
チョ・ジェユンの素顔|公式Instagramから見える人間味

公式Instagramの存在(根拠として明示)|撮影現場・共演者との関係性/役柄とのギャップが生む親近感
ここまで読んできた方なら、
こう思っているかもしれません。
——こんな役ばかり演じている人、
実際はどんな人なんだろう?
その答えのヒントは、
チョ・ジェユン本人の
公式Instagramにあります。
正直、最初に投稿を見たとき、
私は少し拍子抜けしました。
——思っていたより、ずっと柔らかい。
現場でのオフショット。
共演者と並んで笑う姿。
過度に飾らないコメント。
役柄で見てきた
「嫌な人」「信用できない人」の面影は、
そこにはありません。
でも、よく見ると気づくんです。
彼の投稿は、
自分を前に出すためのSNSではない。
写っているのは、いつも「人」。
共演者。
スタッフ。
そして、撮影現場の空気。
私はここに、
彼の俳優としての姿勢が、そのまま表れている
と感じました。
役の中で目立たなくても、
現場の中では確実に信頼されている人。
だからこそ、
自然とカメラの端に写り込み、
名前をタグ付けされ、
「また一緒にやりたい」と思われる。
役柄とのギャップが生む親近感は、
“作られたもの”ではありません。
現場で積み重ねてきた関係性の結果なのです。
怪演俳優が愛される理由|現場での信頼感・人柄がにじむ投稿傾向
怪演俳優という言葉には、
どこか
「扱いづらそう」「近寄りがたい」
というイメージがつきまといます。
でも、チョ・ジェユンの場合は違う。
Instagramを見ていると、
彼がどんなふうに現場に立っているのか、
はっきりと伝わってきます。
- 出しゃばらない
- 役を誇らない
- 共演者を立てる
- 作品そのものを尊重する
この姿勢、
実は制作側から最も信頼されるタイプです。
私が取材の中で何度も耳にしてきた、
「また一緒にやりたい俳優」という言葉。
チョ・ジェユンは、
まさにその条件を
すべて満たしている。
怪演ができる。
空気を変えられる。
でも、現場では“扱いやすい”。
——こんな俳優が、
呼ばれなくなるはずがありません。
だから彼は、
主演でなくても、
特別出演でも、
作品の要所に必ず現れる。
そして視聴者は、
画面の中の怪演にゾクッとしながら、
Instagramの投稿を見て、
少しだけ安心する。
ああ、この人、ちゃんと人間なんだ。
だからこそ、あんな役ができるんだ。
私はそう思っています。
怪演の裏側に、
確かな人柄と信頼がある。
——それを知った瞬間、
チョ・ジェユンという俳優は、
「怖い存在」から「ずっと見ていたい存在」
へと変わるのです。
まとめ|怪演の正体は「人間の弱さ」だった

『太陽の末裔』
『SKYキャッスル』
『7人の脱出』
『ペントハウス2』
『還魂』
この5作品を通して、
チョ・ジェユンという俳優を見つめ直したとき、
ひとつの共通点が、はっきりと浮かび上がってきます。
彼は、
悪を演じているのではありません。
彼が映し出しているのは、
極限状態で露わになる保身。
都合のいい正義。
見て見ぬふりをしてしまう弱さ。
——つまり、
私たち自身の中にも確かに存在する「人間の弱さ」
です。
だから彼の演技は、
怖いのに、目を逸らせない。
嫌なのに、忘れられない。
どこかで、胸がざわつく。
それは、
彼が“悪役俳優”だからではありません。
人間を、ちゃんと人間として演じている俳優だからです。
主役ではない。
出番が短いこともある。
けれど、物語の中で彼が立つ場所は、
いつも“真ん中より少し下”。
私たちが一番、目を背けたい場所にあります。
だからこそ、
チョ・ジェユンが画面に現れた瞬間、
ドラマは一段、深くなる。
次にあなたが彼を見かけたとき、
きっともう、
「ただの脇役」としては見られないはずです。
——その違和感に気づいた瞬間から、
あなたも、
チョ・ジェユンという俳優の“沼”の入り口に立っているのです。
静かに。
確実に。
そして、もう戻れない場所で。



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